学歴と環境論争について
こんばんは。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今週から本格的に授業が始まり、生活にメリハリがついたような気がします。僕はやらなくてはいけないことがある場合それを軸に1日の過ごし方を決めるタイプだからでしょう。
さて、最近ツイッターで育った環境、家庭によって学歴が決まるというテーマでさまざまな意見が飛び交っています。この問題について僕の意見を少し述べようと思います。
僕の意見は環境で人間決まるなんて当たり前でしょということ。そりゃ親が金持ちだから私立行けるし、田舎に生まれたら勉強なんてほとんどしないし学歴に差が出るのは当然でしょ。
僕は小1〜小4まで静岡のど田舎に住んでいたので、その頃の周りの勉強に対する意識と、愛知でのそれとを比較しています。
静岡は楽しかった。7時に家出て、3キロくらいのクソ遠い学校行ってただ楽しいだけの授業して、帰って友達と17時まで鬼ごっことかサッカー、ドッヂボールして遊んで帰ってテレビ見て寝る。そんな4年間でした。
愛知に引っ越したら小学生なのにクラスの半分以上が塾行ってて、地下に電車走っててびっくりしました。そこから僕も勉強に対する意識は変わりましたね。
あのまま静岡にいたら高卒で工事現場とかで働いてたと思います。
田舎とそこそこの都会を経験して言えるのは周りの考えで人間の学歴に対する考えはかわるということ。さらに上京してからの周りの人たちの育った環境には驚かされましたが、、
まあほとんどの場合育った環境で学歴なんて決まりますが、そりゃ例外もいますよね。福島のある学校からはじめて東大合格者出ましたみたいなニュースをCNNで見た気がしますw!その中例外だらけですよ、オクテット則なんて例外しかない。要するに大部分の高学歴の人は育った環境がいいということ。
最後にこれだけ言っておきたいのですが、育った環境が悪くて学歴なくてかわいそうだ、不幸だって見方をする人がいますがそれは嫌いです。
確かに、別の環境で育っていたらもっと偏差値が良い学校いけたかもしれません。けど、僕の静岡での友達や小中の友達、田舎住みの知り合いみんな人生楽しそう、幸せそうです。学歴なくてもかわいそうなんてことはない。
幸せや楽しさの価値観もきっと育った環境で決まるそんな気がします。だから、勝手に不幸だとか決めつけないで欲しいです。低学歴の人からしたら、勉強ばっかりで遊びも恋愛も部活もそんなにできてなくてかわいそうと思われているかもしれないし。
単純に僕が自分の価値観を押し付けてくるタイプの人間が嫌いだからこんなブログ記事になってしまったのかも。構成も考えずに適当に書いてるからそこも心配。まあいいや。
最近憧れているのはsnsのない時代に生まれること。この憧れについて書けばこの記事の五倍くらいの分量書ける気がする。最近更新サボっててすみません。書きたくなったら書きます。ではさよならーめん食べたい。